|
|
|
|
スペインは多くの国からやってくる異民族が上手に共生している。フェレイローラ村でも根っからの住人、首都のマドリッドからやってきた人たち、イギリス人、フランス人、イタリア人、デンマーク人、ベルギー人、オーストラリア人、そして日本人の私です。新たにレバノン人が土地を買ったとの噂が流れている。50人にも満たない小さな村でさえこのような多民族の集合体なのだ。地中海を取り巻く街々はもっと自然な姿で異文化を背負った人々が共生している。そこでは生きるうえでの常民の知恵が結合し伝播していく。旅を続けていくうちに住居、衣服、食事、農業、倫理観、宗教観、集落のアイデンティティがどのような歴史的プロセスを歩んで今に至っているのかとても興味がわいてきた。私は民俗学者でもないし歴史家でもない。ただの食意地の張った絵描きなのだがそれなりの視点を持ちながら旅を続けている。いつか地中海をテーマに絵と文章に収めて発表したいと願っている。 |
|
|
|
|
|
スペインを代表する名著ドンキホーテの作者セルバンテスは虜囚の身で滞在していたアルジェリアで書いた。それに800年間もイスラム教徒に支配されていた。スペイン国王カルロス5世は南イタリアを統治していた。現在マグレブ地方<北アフリカ>からの経済難民の数は年間千人を超えている。人口4千3百万のスペインに、訪れる海外からの観光客は5千万人になる。まさしく異文化交流の地といえる。フェレイローラ村をベースキャンプとし、地中海にひそむ人の知恵を求めて更に旅を続けたい。 |
|
|
|
地中海に面したリゾート地、マルベージャ |
|
|
|
ブーゲンビリアが咲き乱れる居酒屋街 |
|
|
|
|
|
乾燥した空気は夏でも日陰は涼しい |
|
|
|
南スペインはナツメヤシの樹が良く似合う |
|
|
|
|
|
1975年独裁政権が倒れた翌年、戒厳令下の南ポルトガルのアルガルベ地方を訪れたのが始めだった。それから1年の間キャンプ生活をしながら旅をし、「女性誌FRAU<講談社>に連載しまとめ、「郷愁の国から」<東京書籍>として出版した。大航海時代を切り開いたエンリケ航海皇子は精神的な国の開祖といえる。それに南米の新食財をもたらしたことは地中海の生活を大きく変えた。ポルトガルは地中海における大事な役割を果たしたといえる。 |
|
|
|
|
|
|
パリを訪れたのはもう三十年以上まえのことだし、それからは訪れていない。でも地中海に面したプロバンス地方はよく訪れているし、感性もなんとなく理解できる。村々を回ると景観の美しさとセンスの良さ際立つ。やはり印象派の画家たちが愛した土地だけのことはある。 |
|
|
|
|
|
|
ローマ時代の文化や歴史を書かれている塩野七生さんの本はよく読んでいるが、スペイン人の精神性と生活習慣が同じなのが解る。まさしくヨーロッパのゆり篭がイタリアだったのです。私としてはシシリアを始めエーゲ海の島々により興味があるのだが訪れたい街が多い国である。2年前に知人のご好意でヨットでシシリア島を訪れいくつかの街に寄航したが、食事の美味しさは群れを抜いている。マグロやカジキの燻製、パルミジャーノチーズをたっぷりかけたカリフラワーのパスタ、パッキーノ産のトマト、パンテリジェーラ島のデザートワインと並べていったらきりがない。イタリアは何度でも訪れたい国である。 |
|
|
|
シシリアの港街はどこも教会が海に面して建っている |
|
|
|
早朝獲ってきた魚を屋台で直売りする漁師 |
|
|
|
|
|
地中海ではヨットでの船旅が似合う |
|
|
|
メッシーナ海峡をヨットで航行する |
|
|
|
|
|
エオリエ諸島のサリーナ島 |
|
|
|
子供たちが磯で獲ってきた貝を売っていた |
|
|
|
|
|
シシリアは野菜の宝庫。カリフラワーのパスタは抜群 |
|
|
|
トマトの聖地、パッキーノ村では結婚式に出合った |
|
|
|
|
|
オリーブ漬け。料理にもよう使う |
|
|
|
アサリ売り |
|
|
|
|
シラクサでの市場でマグロの大トロを発見。1kg1,500円。とても旨かった |
|
|
|
|
|
|
サントリーニ島を2度ほど訪れた。地中海を代表する美しい島です。哲学者プラトンが記したアトランティス神話の地でもある。今は観光地として世界的に有名だがそれだけのことはある。海に落ち込む崖にへばりつくように佇む白い集落とギリシャ正教の紺色の葱坊主のような塔の調和はいつまでみていても飽きない。食材については保存食の豊富さに驚く。アテネではパルテノン神殿にはいかなかったが、食材店をはしごした。 |
|
|
|
サントリーニ島のイアの街 |
|
|
|
サントリーニ島の中心街フィラ |
|
|
|
|
|
シーズンオフのサントリーニはとても静かだった |
|
|
|
アトランティス神話を秘めた海 |
|
|
|
|
|
ギリシャ正教の教会はどこも青い丸屋根 |
|
|
|
ギリシャの家は色使いが大胆 |
|
|
|
|
|
イスタンブールを訪れただけだが食事の旨さは納得です。コース料理の源流がトプカピ宮殿にあるとの説は定着している。それがイタリアを経由してフランスに渡ったというのである。もう少し旅を続けたいのだがクルド独立運動がテロ行為になり、爆弾騒ぎが頻繁におきている。怖いのだが再び旅をしたい。 |
|
|
|
イスタンブールのエジプシャンバザールで。トマトを果物代わりに食べていた |
|
|
|
偶然立ち寄った煮込みを売りにしていた食堂。トマトの肉詰めが旨かった |
|
|
|
|
|
炭火を使ったドネルケバブ。羊肉はやはり旨い |
|
|
|
グランバザールは光の回廊。美しくも異国情緒をかきたてる風情がある |
|
|
|
|
|
モロッコには数十回訪れている。初めて訪れたのは三十年以上まえだった。街に響くコーランの調べは異国情緒が溢れる。断食月<ラマダーン>にあたりレストランが閉まっており驚かされたり、盗賊団に囲まれたり、砂漠の民にミントティで歓待されたり、羊一頭を屠ってクスクス料理の晩餐会に招待されたり面白い体験をしている。彼らを理解するにはコーランの教えを理解しなければならないようだが、家族愛に満ちた彼らの常民思想は学ぶべきことがある。 |
|
|
|
北モロッコはシャウエンの街。安全が売りの古都 |
|
|
|
無発酵パンはもっちりと柔らかく朝食によい。ハチミツに合う |
|
|
|
|
|
スケッチしているとどこからか子供たちが現れる |
|
|
|
テトアンの街は魅惑的で大好きなのだが3回も盗難に会った |
|
|
|
|
|
映画カサブランカのロケ地にもなった港街タンジール |
|
|
|
シャウエンの裏街通り。やはり怖さがよぎる |
|
|
|
|
|
北アフリカの国、武将ハンニバルなどを生んだフェニキア人の故郷である。アルプス山脈を象で越え、ローマを侵略した民族だ。砂漠の国のように思えるが立派な農業国だ。オリーブ油の生産では世界4位、ワインもかなり質が高い。日本には「シロッコ」という赤ワインが輸入されている。農業が主産業ということは昔のままの景観が守られやすい。ナツメヤシの林は南国の風情があるし、オリーブやブドウ畑は豊饒の土地を証明する。フェニキアの首都だったカルタゴを訪れると、百キロ以上離れたところから水を引いた市民のための浴場跡があった。生活を楽しむ心は今に至って受け継がれているようだ。 |
|
|
|
サハラ砂漠はひたすら砂丘が続く |
|
|
|
港街モナスティアのレストランで |
|
|
|
|
|
香辛料はアラブ料理には欠かせない |
|
|
|
天然ヘアダイのヘンナの畑とナツメヤシ |
|
|
|
|
|