南スペイン、南房総での、おだやかな田舎暮らし「イシイタカシの世界」
魔法の台所、暖炉で作るフルコース料理
 世の中、まったく予想を超えたことがあるから嬉しい。スペインにやってきたころ驚いたのは、南スペインの女性がそんなに背も高からず、ひと懐っこくだれかれ分け隔てなくにこやかに話をし、そのうえ美人揃いだったこと。それから、ワインもさることながら、シェリー酒が安いうえに種類が豊富で、大好きな魚介類にとても良く合うことだった。まあ、このあたりまでは予期しなかったといっても、納得できることだったが、果物の旨さと安さは予想をはるかに超えていた。特に秋に出まわるオレンジとチリモジャの美味しさは格別だった。このチリモジャとは、クリーミーな味わいと甘さが特徴、ときどき日本でも「チェリモヤ」という名前で高級果物店の奥に置かれているが、ひとつ二千円ほどする。こちらではまあ、ひとつ百円単位で買える。
ところが、豊穣な秋は、予想もしなかった悪いことも引き連れてきた。南スペインといえど、冬になると、かなり寒くなるのだ。スペインにきたころ、オレはセビリア近郊のオリーブ畑に囲まれた元居酒屋跡に住んでいた。アンダルシアの典型的な、暖かさに満ちた白い家が立ち並ぶ土地柄だった。オレは、南スペインとは、一年毎日が夏だと信じていた。だから日本からは冬物は持ってこなかったので、寒さが深まるにつれ、重ね着をしながらなんとか凌いでいた。日々、その寒さに戦々恐々としていたのだが、居間にあった暖炉に気がついた。といっても、日本では本物の暖炉はみたこともなかったし、ハリウッド映画でみかけたくらいで、使ったことはなかった。
 近くに工場があり、敷地内に木製の空箱がうず高く積まれていた。そこで守衛さんに掛けあったら、好きなだけ持って行けという。ほんの少しのチップで大量の木箱を入手することができた。これを壊して薪にし、生まれて初めて暖炉に火を入れてみた。乾ききった木箱はメラメラとよく燃えた。と同時に、熱気が体を包み、なんともいえない幸福感に満たされたことを覚えている。冬の日、暖かいことは幸せで、寒いことは寂しく悲しいことなのである。暖かくなると心は和み、ワインは更に旨くなる。今では、暖炉への火入れは、待ちに待った冬の年中行事になっている。暖炉の存在は、まったく予期もしなかった、良いことの代表だった。
 当然ながら、フェレイローラ村の田舎家にも暖炉がある。アルプハーラ地方はシエラネバダ山脈の中腹にある山間部ということで、薪も入手し易く、どこの家にも暖炉があってまだ現役で活躍している。冬、小高いところから村を見下ろすと、集落に紫煙がたなびいている。村人たちの生活が感じられて、みているだけで嬉しくなる。
 この暖炉、構造的には簡単で、陸屋根にキノコのように生えている煙突に直結するだけである。しかし、新しく暖炉を造るとなると、これがなかなか難しい。下手に造ると煙が逆流したり、燃え過ぎて部屋が暖まらなかったりするのだ。棟梁フランシスコの家には、感動ものの暖炉がある。薪を燃やす部分が囲まれていなく、床で燃やすと炎と煙が壁を這うように上がり、煙突状の吸口に流れ込むといった簡単暖炉だ。作り方もさることながら、火の扱いによほど慣れていないと使えそうもない玄人好みの暖炉である。こんな暖炉は云うまでもないが、どれも思いのほか気難しく、ある程度使ってみないと、思うように機能してくれない。
 今の母屋の一階には、畳一帖ほどの古い超特大の暖炉がある。昔流に暖炉内に人が入り、火を焚いて、体ごと暖まる昔流のこともできる自慢の暖炉である。しかし、オレの家は台所や寝室は二階にあり、日常生活はほとんど二階で過ごしているのに、暖炉がなく寒い思いをしていた。そこで、新しい暖炉をもうひとつ造ることにした。フォンダーレス村に行き、暖炉造りには定評のある、酔っ払いの左官イグナシオと助手のホセイッコのふたりに頼むことにした。
「暖炉作りは難しいんだよ。まあ、長年の勘と熟練の技がなければいいのはできないさ」
 なんとも頼もしいお言葉とともに、革袋に入った地酒ビノコスタをしっかりと携えて、朝早くから仕事に取り掛かった。もう、来がけに居酒屋アルヒーベでブランデー入りのカフェ、カラヒージョを飲んできたらしく、真っ赤な顔をしていた。助手のホセイッコが仕事の準備をしている間、ペペは顎に手をやりながら、暖炉をイメージしているらしく、思案顔である。作業が始まると、ふたりは和気藹々と村の噂話をしながら、作業を進めていった。暖炉がほぼ完成となると、紙を燃やして煙の行方を観察したりして、試行錯誤しながらも、立派な暖炉を造り上げた。ところが、ペペがうかぬ顔で暖炉をみていたと思ったら、突然、とんでもないことをしでかした。
「うーん、気にくわん。火口と壁の角度がどうしても納得いかん。やり直し!」
 いい終わるやいなや、ほとんど完成状態にあった暖炉を押し倒し、壊してしまったのだ。助手のホセイッコもオレも、しばし呆然としてしまった。結局、再び何日かかけて立派な暖炉を作りあげてくれた。この暖炉、十年以上たった今でも、まあまあ機能している。実は、あちこちから煙が漏れるのである。おかげで、暖炉の周囲は黄ばみ、田舎家に風情と雅味を滲ませている。
 贅沢と思われるかもしれないが、寒い冬に石の家に住むには、暖炉は欠かせない。火を燃やし続けると、石壁が熱を帯び、部屋中なんともいえない暖かさが満ちるのだ。この居心地のよさは、暖炉のおかげである。
 その暖炉だが、村人にとって、昔から暖房機能以上にもっと大事な働きをしていたことがわかった。もともと暖炉とは、台所だったのである。
 十二月、助手ホセイッコの家で、豚のマタンサがあるから来いと招待された。彼は毎年、春に子豚を二頭買い、残飯や野菜屑を与えて育て、冬になると何家族かが一緒に豚を集め、共同作業でマタンサをおこなうのである。このことについては以前にも書いたが、視点を変えて、暖炉周りからみた皆の仕事振りを説明したい。まさに暖炉が、台所として重要な役割をはたしていることがよくわかる。
 マタンサの日はまだ夜の明けきらぬ午前四時ごろ、それぞれの豚を持ち寄り、ホセイッコの納屋に集まる。暖炉には盛大に火が焚かれ、皆、背中を暖めたりしながら作業に取り掛かる。暖炉の光が村人を照らしだし、昔の生活を彷彿とさせる。暖炉のなかには大きな五徳がふたつ置かれ、どちらにも大鍋が湯を滾らせている。火口の周りではカミさんたちが大量のタマネギを刻んでいる。豚の血と混ぜて作るモルシージャ、英語でいうところのブラッドプディングの準備のためである。外では男たちが解体を始める。景気付けに革袋に入った地酒コスタを回し飲みしながら、それぞれ持ち寄った豚の大きさを自慢しあったりして楽しげだ。もう、皆さん気分はお祭りなのだ。
 豚が解体されると、まず肺をその場で料理するのが慣わしである。使い込んで黒光りしている、柄が一メートルもある巨大フライパンが現れ、肺の料理が始まる。肺とジャガイモの細切りをニンニクとベイリーフで味付けし、たっぷりのオリーブ油で煮込むのだ。そこに微塵切りのトマトと乾燥パプリカを加え、更に煮込み、塩・胡椒で味を調える。
「そろそろできたかな? 味見をしてみるかい?」
 ホセイッコのカミさんが、客人のオレに、大匙に盛った肉片とジャガイモを差し出した。オレはバゲットの厚切りで受け取り、熱々を口にする。トマト味の歯ごたえのある内臓料理は、地酒ビノコスタにぴったりである。暖炉の五徳は、それからも空くことはない。モルシージャは大鍋で煮られ、日干しにされる。冷えきった男たちはしばしば暖をとりにくるし、暖炉の周りはいつまでも賑やかである。豊かな食生活を祝う、真の謝肉祭ではないか。
 暖炉が台所であったことは、このとき初めて実感した。それと共に、スペインの国民食ともいえるコシードが、五徳の上の大鍋で煮込まれている姿が目に浮かんだ。コシードとは、スペイン人が一年三六五日食べても飽きないといった料理である。前日から水に浸けこまれてふやかされたヒヨコ豆と肉、ジャガイモなどの野菜を、生ハムの骨、塩蔵三枚肉、チョリソなどと煮込んだ、スペイン版ポトフと思えばよい。コシードとは直訳すると、まさに煮込みといった意味なのだが、昔は暖炉料理の王道だったに違いない。
 酔っ払いの左官ペペが暖炉を造るとき、必要以上にこだわったのも、こんな生活上の背景があったからなのかもしれない。寒空の夜、暖炉の前で火をみながら大好きなカルバドスを飲んでいると、生きている実感さえ湧いてくる。それに加えて今では暖炉の実利性も教えられたので冬の楽しみになっている。考えてみれば、暖炉の構造は換気口付きの薪オーブンなのだ。置き火で直焼しながら、窯からの遠赤外線の熱がじんわり加わる。じっくりと火が通り、スモーク臭がほのかに加わり、食材を更に旨くする。
 いつしか、暖炉料理が冬の定番になってきた。それも、田舎のヌーベルクイジーヌとも呼べそうな、暖炉でのフルコース料理が楽しめるようになった。
 まず、前菜として豚の三枚肉を塩・胡椒で食べる。これには焼き方に工夫がある。肉を挟んで焼く網を立てて火にかざして焼くのだ。三枚肉はほとんどが脂だから、普通に焼くと落ちた脂に火がついて燃えてしまう。ところが立てて焼くと、脂は流れ落ち、火がつくことなくカリカリに焼ける。これをバゲットの薄切りにのせて食べると、やはり地酒ビノコスタにピッタリ。暖炉だからできる焼き方である。でも、いくら美味しいからといって、食べ過ぎると次が入らなくなるので注意しなければいけない。これを焼いている間、五徳の上の網には野菜が並ぶ。焼き野菜を賞味するのだ。まず、ポロネギ、アーキチョーク、パプリカは外せない。ポロネギは日本では手に入りにくいが、芯まで巻きがしっかりしているネギと思えばよい。アーキチョークは朝鮮アザミの蕾である。どれも時間をかけて真っ黒になるまで焼き、焦げた部分を剥ぐと、なかが蒸し焼き状態になっている。これにオリーブ油とワイン酢、またはバルサミコ酢をかけ、塩・胡椒して食べる。野菜が持つ本来の旨味と甘味が凝縮し、未知なる美味しさに遭遇できるだろう。これにエメンタールチーズの摩り下ろしをかけて融けたところを食べるのもよし、アンチョビーの塩味で食べるのもよい。ナスもまた旨い。破裂しないようにフォークで穴を開け、やはり真っ黒になるまで焼き、皮を剥き、同じように味付けして食べる。スペインでもショウガを売っているから、擂って醤油と合わせ、浸して和風に食べるのもよし。変わったところでは、ズッキーニの皮の部分を厚めにタテ切りし、火で炙り、シンナリとさせる。これを唐辛子とニンニクを漬け込んだオリーブ油とワイン酢をかけ、塩・胡椒して食べるのだ。歯ごたえのある食感が新鮮で、その旨さに驚くことだろう。お腹が許せば、パスタと合わせてもよい。他にタマネギ、ニンジン、トマト、キャベツなど野菜はなんでも焼くと旨くなるのだが、このあたりはメインディシュの付け合わせとして、ソースに漬け込みながら焼いて食べるのも良さそうだ。
 メインディシュはやはりお肉だ。スペインでは骨付きの牛バラ肉や牛タンが安いので、甘辛醤油味の韓国料理風タレに漬け込んで焼くことが多い。炭火焼が大好きなスペイン人は、口を揃えてその味を賞賛する。このごろ、ヨーロッパで韓国料理店が増えているのも納得できる。
 さてここで、オリジナルな付け焼きとアルゼンチン風焼肉を紹介したい。地鶏を塩・胡椒し、ヨーグルト、ターメリック、それにカレーパウダーを少々加えて混ぜたなかに二日間ほど漬け込んで焼く、タンドリーチキンの旨さはだれでもが知っている。この漬け汁に味噌を五割ほどとハチミツを少々加え、地鶏のほかに豚肉や羊肉などを漬け込んで焼くと、これまた旨い。今では、我家で開かれる冬のパーティでは欠かせない、皆さん待望の焼肉料理になっている。
 ほかにスペイン人に馴染みがあって、日本人には稀な味わいとして、アルゼンチンの牧童ガウチョ料理がある。草原のパンパで焚き火をしながら焼肉をするのがルーツだが、そのとき使われるのが、チュミチュリ・ソースである。これは羊肉にぴったりの焼肉ソースだ。ソースはオリーブ油、白ワイン、オレガノ、ニンニクに塩・胡椒して作る。そのソースをまるごとの羊のモモ肉にハケでぬりながら、あせらず気長に、ゆっくりと遠火で焼くのがコツである。一時間ほどしたら、焼けたところから、ナイフで切り取って食べる。そしてまた、ハケでソースをぬる。暖炉料理のなかでも野趣があって、至極の食べ方である。ゆっくりとワインを飲み、友と語りながら食べていると、ガウチョたちの精神性まで窺えてくる。
 主菜の肉を魚に置き換えることもできる。魚といえば塩焼き、それもイワシが好きである。スペインではまだイワシは安く、一キロあたり三百円ほどだから、気軽に食べられるのがよい。イワシはまた、一夜干しが旨い。これは大体朝食のためなのだが、腹ワタを取り、軽く塩を振り、太目のハリガネで目刺しにし、暖炉の火を落としてから、夜中、暖炉の内側にヒモで吊るしておいて、余熱で干すのだ。これを朝、再び火を起こした暖炉の置き火で焼き、醤油をかけて、白いご飯で食べるのだ。当然のことながら、カレイの一夜干も絶品である。
 少し横道にそれるが、アルプハーラ地方はスペインのなかでも、生ハムの産地として有名である。空気が乾燥して冷涼な高地だからこそ、塩分の少ない良質な生ハムができるのだ。ということは、魚の干物にも都合のよい気候だといえる。幸いなことに、スペインではアジがめっぽう安い。一般的にフライにして食べるのだが、骨が硬く、ゼイゴがじゃまになるからか、極端に安い。だからいつも大量に買い、開きにして濃い目の塩水に浸け、太陽に四時間ほど晒せば旨い半生干物ができる。これらは冷凍して保存食としておき、気が向くと暖炉の置き火で焼く。まあ旨いこと請け合い。魚も肉と同様、主菜として充分楽しめるわけだ。アルプハーラ地方の風土性が生んだ、和西混合の魚料理である。
 さて、話しをフルコースに戻して残るはデザート。食材は基本的にジャガイモとサツマイモである。他に、栗とアーモンドもある。
 イモ類はアルミホイルに包み、料理を始める前から灰のなかに埋め込んでおくと、デザートを食べたくなるころ、だれもが信じて疑わないホックリとした味が賞味できる。ジャガイモには初夏に作っておいたお手製のアプリコットジャムやサクランボのコンポートを載せ、甘いサツマイモにはバターを載せて塩を振って食べる。どちらも、半分焦げた皮の部分は味が濃くて旨い。
 アルプハーラ地方でも標高千メートルを超える一帯は栗の木が多い。もともと建築材の梁として使われるために植えられていたのだが、今では新建材にとって代わられ、ほとんど実を食用に供している。渋が果肉まで入り込んだ山栗ではあるが、その甘さと栗らしい味は本物である。昔から冬の常食として、土のなかに埋めて乾燥を防いで貯蔵し、春になるまで食べていたという。冬、村人は小腹が減ると、だれもが気軽に焼き栗を楽しむ。栗はそのまま火にくべると爆ぜるので、まずナイフで切り込みを入れ、水玉模様状に穴があいた、焼き栗専用のフライパンで炒る。ころころと揺すりながら、半分焦げた状態になるまでしっかり焼くと、香ばしい栗の匂いが漂ってきて食べどきになる。剥いだ皮を暖炉に投げ入れると、可愛い青紫色の炎が立ち上がり、みているだけでも綺麗である。殻つきのアーモンドも同じように炒り、カナヅチで割って食べる。カリッとした歯ごたえは、一度食べ始めるとなかなか止められない。
最後に、オリジナルなデザートとして焼いた果物を紹介する。果物のなかでも、特にリンゴや洋ナシが旨い。リンゴは横に輪切りにし、置き火で焼く。そのまま食べても甘さが凝縮して旨いが、ドイツのババリア産のクリーミーなブルーチーズと合わせて食べると、これがまたいける。リンゴ酒であるカルバドスとの相性は抜群である。こんなわけで、暖炉料理は最後のデザートまで、納得のいく味わいを提供してくれる。木枯らし舞う外の気配を感じながら、暖炉の火にあたりながらの食事は、ひとりならば思索のときを、友と一緒ならば楽しい会話を約束してくれるのだ。
 冬、寒風に晒されて家に帰ると、暖炉のぬくもりが心を優しく包む。それに暖炉料理は楽しくも美味しいフルコースを演出してくれる。それも食材の旨さを最大限引きだす魔法の台所なのだ。とはいえ、スペインの田舎暮らしだからこそ味わえる、究極の贅沢なのかもしれない。
 寝つけない夜も、暖炉に舞う炎の姿や薪の弾ける音を聴き、地酒ビノコスタやカルバドスの酔いに身を任せれば、心地よい眠りへと誘ってくれる。暖炉とは、村人たちの祖先から継承し続けられた宝物、知恵の結晶である。スペインに渡って二十九年、予期もしなかった素晴らしい体験の代表が、暖炉のある生活だった。
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