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畑の師匠ホセの末息子アンヘルがまだ七歳ころのことだった。朝早く、もうピトレス村にある学校へ向かうスクールバスが行ってしまったというのに、広場にひとりぽつんと立っていた。
「アンヘル、どうしたんだい。学校へは行かないの?」
「だって…、つまんないもん」
俯いたまま、ようやく口ごもるように答えたが、あとは黙ってしまった。アンヘルは栗毛色のカーリーヘアをした男の子、といっても天使と呼ぶにはあまりにも腕白な微笑ましくも困った存在だった。長老役カルロスの末娘と村狭しと走り回っていた。村人たちは、ふたりがどんな悪戯をしても、我が子のように見守っている。そのアンヘルが登校拒否をしたのだ。それとなく村の子供たちに、学校でのアンヘルについて聞いてみた。「先生の云うことはきかないし、友達とは喧嘩するし、授業が始まっても校庭にひとりでいたりするのよ」
そんなアンヘルを、再び学校へ向かわせたのは、泉端談義の面々だった。夕方、泉の脇をとおりかかったアンヘルに声がかかった。
「どうしたんだい、学校には行かなくっちゃ」
棟梁フランシスコは理由もなにもいわない。子供とは学校に行くものといった考えかたである。
「友達が待ってるぞ。寂しがってるに違いないよ」
長老役カルロスは勉強より、友達の大切さを伝えたかったようだ。
「皆仲良く学校に行ってるでしょう」
「学校に行かないとロバになっちゃうわよ」
女性たちは、鶏がエサでもつつくように責めたてた。結局、アンヘルは何日かたって学校に行くようになった。村はタテ社会でありながらも、子供も大人と同等な意見をもつ。泉端談義の面々も、アンヘルの目線で話していたし、彼も大人たちの忠告を仲間の言葉として、素直に受けいれたのだろう。
アンヘルの家族は、フェレイローラ村では珍しく、一家全員揃って暮らしている。ホセと奥さんのカルメラと四人の子供たち、それにホセの父親の七人、三世帯同居だ。
ホセはまだ二十代のとき、ドイツへ出稼ぎに行ったことがある。そのころ、スペインは激動の時代だった。農業は機械化によって、より大規模になり、山間部の非効率な畑は見放されていった。と同時に、ヨーロッパは戦後の復興期にあった。先進国はいくらでも労働力を必要としていた。村の若者たちは雪崩が起きたように職を求め、その多くはドイツへと出稼ぎに行ったのだ。仲間の多くは小金を貯め、スペインでもっとも活気のある港街バルセロナに移住し、家族を呼び寄せ、村を離れていった。当時、国民の十人に一人、四百万人が国外へ去ったといわれている。しかし、ホセは村に帰ってきた。無口な性格がそうさせたのか、村の共同体社会とまったく違う、都会の階級社会に馴染まなかったのか、とにかく戻ってきた。彼はその後、村で小麦を播き、オリーブやアーモンドを育て、野菜畑を耕し、豚や兎を飼い、ラバなどの家畜と共に生きている。奥さんのカルメラは、家計を助けるために、少しまえまで居酒屋兼公営タバコ売場兼万屋を営んでいた。
昔の日常と全く変わらない生活をしているホセの家族には、とても興味をひかれた。ところが、ホセはなにを聞こうにもあまりにも無口な男。そこで、居酒屋アルヒーベのエドワルド親爺に助けてもらいながら、その生活ぶりを聞いたのでお伝えしたい。
エドワルド親爺は、このあたりでは広い畑をもつ農家でもある。畑の師匠ホセと同じだが、彼は他にブドウ畑ももっている。だから、店の地酒コスタはすべて自家製だ。居酒屋といっても、このあたりでは唯一の食堂でもあるから、近隣の外国人も食事にくるし、この界隈のサロンにもなっている。いまでは、長女マリッサとその旦那ラモンが商売を継ぎ、エドワルド親爺は隠居し、お客の側に回っている。彼は昼、農作業や雑用をし、夜になるとカウンターに腰をすえ、じっくりと飲んでいる。話が弾めば、彼の奢りで夜が更けるまでフィエスタが続くのだ。
「なになに、昔の話をしろと? いまとは全然違っていたよ。第一、お金なんか使わなかったね。食べる物はすべて自家製だったし、必要なかったんだ。魚だって、ふた山越えたラビタの漁村から、一晩かかってロバで運んでくる男と、物々交換さ。おれの家のジャガイモやインゲン豆は喜ばれたよ。その男はラビタに帰ってから、野菜を売って稼ぐのさ」
カウンターのなかにいるマリッサも、父親の話を興味深そうに聞いていた。
「おまえも知ってるように、つい先ごろまで、どこの家でも豚を飼っていただろ。おれのところでは、三頭もいたよ。クリスマス時期になると、皆が集まって、一緒にをしたね。冬のビッグイベントだったよな」
確かに、ほんの数年まえまでは、どこの家でも豚を飼っていた。春、暖かくなるとトラックの荷台に子豚を乗せて売りにくる。村人は大体一頭か二頭を買い、毎日の生ゴミを与えながら育て、十二月になるとマタンサするのだ。朝早く、七、八家族がそれぞれ飼っていた豚を持ち寄り、子供から年寄りまで総出で準備する。男たちは豚を羽交い絞めにし、次々に喉を切って捌いていく。女たちは内臓や肉の部位に従って、腸詰め、塩漬け、オリーブ漬け、それに生ハムに仕立てていく。血の一滴まで加工し、保存食にするのだ。男たちはまだプチプチと発泡するその年の新酒コスタの入った革袋を回し飲みしながら仕事をする。つまみは慣例どおり、取りたての肺とタマネギに乾燥パプリカを加え、たっぷりのオリーブ油で煮込んだ一品である。十頭近くの豚をマタンサしていくのだ。だれもが興奮し、賑やかなお祭り気分になる。犬や猫までが周りを跳びはねて、たまにおこぼれを頂戴する。なんだか、ギリシャ時代のディオニッソスの神儀を彷彿とさせるではないか。しかし、村が過疎化し、老齢化するにつれ、人手を要するマタンサは消えてしまった。ホセの家でも昔はマタンサをしていたが、いまでは、豚の代わりに兎や鶏を飼っている。
「いつだったか、おまえが畑に小麦を播いたら、アルプハーラ中のスズメがやってきて、皆食べられたといってたな。昔はだれもが秋に小麦を播き、初夏になったら収穫して脱穀し、粉にしてパンを焼いたもんさ」
「そういえば、オレの家にもパン焼き窯があったし、ゲストハウスは水車小屋跡、村外れには麦踏み場があるし…、なんだか村中がパンの香ばしい匂いで満ちていたみたいだね」
「そのとおり。なんたってパンは大事な主食だからね。おまえは『ミガ・イ・ガッチャ』という言葉を聞いたことあるかね。固くなった古パンを水に浸けて柔らかくし、よく絞ってからニンニクのみじん切りとオリーブ油で炒め、塩味で食べるのがミガだ。生チョリソを火で炙ったのと一緒に食べると旨いんだ」
「イシーは知ってるわよね。ときどきつまみに使うから」
マリッサが皿一杯の生ハムにパンを添え、もってきながら云った。
「これはおれの奢りだ。それから、いまでは食べなくなったけど、小麦粉を水で溶き、フライパンでよくかき混ぜながら火をとおすのがガッチャ。明日にでもマリッサが料理してくれるさ」
「わたしが作るの? お母さんが上手よ」
後日、お母さんにガッチャを料理してもらったが、ソバガキをもう少しトロリとさせた食感。ピーマンの油煮や炙った生チョリソをチーズフォンデュのように絡ませて食べる。不思議な味覚だったが、小麦の旨みが感じられて、とても美味しかった。
マタンサによる肉食が、共同体としての村の意義を育み、小麦による粉食は、集落に欠かせない共有資本を備えさせていた。マタンサは数家族が揃っておこなわれるし、どこの村にも麦踏み場があることでわかる。
「うちのオリーブ漬けはどうだい。実は小さいけど、味はいいはずだ。それに、オリーブ油も自家製だからね」
村の食生活を更に豊かにしているのが、地中海の果樹を代表するオリーブである。ホセもエドワルド親爺も皆オリーブ畑をもっている。それに段々畑の際には、風を避け崖崩れを防ぐために、オリーブの樹を植えるから、どこの家族も実と油の恩恵をうけている。
オリーブの実を食べるには、十月ごろまだ青いうちに収穫し、三ヶ月間塩漬けして苦味をとる。次に塩抜きし、野原に生えているウイキョウ、オレガノ、タイムやニンニクと共に漬け込む。食事のときやつまみとして、日常的に食べられている。
オリーブ油は、十二月が過ぎ、実が青から紫に、そして真黒になったら収穫して絞る。この作業は、石臼で挽き圧搾機で絞るため、専門の油屋にもっていかねばならない。昔はメッシーナ村に油屋があったが、廃業した。このため、いまではバヤカス村かオルヒバの街の油屋にもっていかねばならない。それでも、このあたりは、優良な植物油がいとも簡単に入手できる、恵まれた土地といえる。北大西洋側のバター文化圏に対して、地中海沿岸はオリーブ油文化圏と呼べるだろう。
「オリーブの収穫といえば、家族総出の大仕事だったよ。樹の下に布を敷き、枝を棒で叩いて実を落とし、集めて麻袋に詰めるんだ。百キロから二十五リットルほどの油がとれるが、油屋に二割、手間賃として払うから、まあ、二十リットル自分の油になるかな」
「このごろ、実が成りっぱなしの樹をみうけるね」
「人手が足りないのさ。人を雇って収穫しても、労賃のほうが高くつく」
フェレイローラ村にはただひとり、野放しになっているオリーブの実を集めている男がいる。酔っ払いのアウグスチンだ。ピンピと一緒に、毎日少しずつ集めては麻袋に詰める。塵も積もれば山となる、である。毎年、百キロ単位の量をエドワルド親爺に頼んで油にしている。オリーブは村人にとって、大事な命の樹である。
「アーモンドは割に合わない作物になったな。昔はお金になる大切な樹だったけどね」
アーモンドは、オリーブと共に地中海沿岸に成育する果樹である。乾燥した急傾斜地や、やや日陰の場合でも生育し実を結ぶため、山間部の多いアルプハーラ地方では、よく目につく。ところが、米国から機械によって収穫された、安い品が輸入され始めたため、手作業での収穫では採算が合わず、放置されるようになった。これはスペインで、大きな社会問題のひとつになっている。それでも、ホセやエドワルド親爺は、収穫を続けている。安くても、換金できることに変わりがないからだ。
「今年の地酒コスタの味はいかがかね。春から全然雨が降らず、収穫は大幅に減ってしまったけど、糖度がしっかりあったから、旨いはずだ」
「確かにね。フルーティなブドウの香りといい、例年になく飲みごたえがあるよ」
エドワルド親爺は大きなブドウ畑をもっている。それが居酒屋開業の発端だった。さらに、マリッサの旦那ラモンの実家も、大きなブドウ畑をもっている。そのため、居酒屋商売は磐石である。夏、一度ラモンのブドウ畑で収穫の手伝いをしたことがあった。まだまだ残暑厳しい九月末、籐籠を手にブドウを摘んだ。ブドウは蔓に絡まり、思うようにとれないし、太陽は容赦なく照りつける。とても辛い仕事だった。それだけに、初めて新酒を味わったときの喜びは格別なのだ。飲み始めはマタンサの季節と丁度重なる。酒の神バッカスがディオニッソス神の化身であることも、こんな土地に住むと、なるほどと納得できる。
「今年のジャガイモは実がほっくりしていて旨いね。やはりシエラネバダ山脈の雪解け水のおかげだよ」
野菜畑は、いつも賑やかに作付けがおこなわれる。まずは地中海の食材として、空豆がある。十一月に種が播かれ、五月に収穫される。生ハムとの煮込みはスペイン人の大好物だ。一月はニンニクを播き、七月に収穫する。ニンニクなしにスペイン料理は語れない。二月にはジャガイモやタマネギの苗が植えられる。三月を過ぎるとトマト、ピーマン、ナスなど夏野菜の苗が次々と植えられていく。
他にどの家庭でもサクランボ、リンゴ、洋梨、カキ、クルミなどの果樹を育てている。初夏からは、待ち遠しい収穫があいつぐ。ホセは毎年、ラバのために燕麦も作付けしている。七月の炎天下、大きな鎌で黄金色の畑を刈る姿は、まさしくバルビゾン派の巨匠ミレーの描く農夫そのものである。
「お父さんの好物よ。夜も遅くなって、お腹がすいたでしょ」
「これだよ。今年のジャガイモは旨いね」
マリッサが最後のつまみ、『貧乏人のポテト』をもってきた。実がしまったジャガイモの厚切りを、たっぷりのオリーブ油で煮込み、塩・胡椒しただけの簡単料理である。貧乏人のとはいうけど、いまの世の中、自家製のジャガイモとオリーブ油で作られたつまみは贅沢の極みではないか。
エドワルド親爺の昔語りは好物のおかげで口が滑らかになり、夜が更けていくのだった。おかげで、ホセの家族の暮らしぶりが断片的ではあるが、少しはみえてきたと思う。カルメラの居酒屋商売は、地酒コスタも自家製ではなく、アルヒーベとは比べられないほど規模は小さい。それでも現金収入のため、居酒屋を営む必要があったのだろう。経済的にはかなり厳しかったはずだ。
アンヘルが十歳になった一月十六日のことだった。この日は四本のアカシアを剪定した小枝や、村の路地を掃除して集めた枯葉などを広場の中央に盛り上げ、火を放つ。マタンサされた豚や家畜たちの供養をするサンアントンの祭り日だ。村人が火を囲み、地酒コスタの革袋を回し、談笑し歌いながら、冬の夜長を楽しむ。凍てつく星空のもと、体の内と外から温まるのはとても気持ちがよい。アンヘルは率先して枝を火のなかに放り込み、炎が絶えないように番をしていた。この日のご馳走は、長老役カルロスのもってきたジャガイモである。彼は次々と灰のなかにくべていく。しばらくすると、アンヘルが棒でジャガイモをひとつとりだし、ふたつに割り、火加減をみた。納得したのか、棒で掻きだし、皆が手にとれるよう脇に寄せた。カルロスが準備よろしく塩の入った紙袋を回す。オレもあつあつのジャガイモを手にとり、灰をはたき、ふたつに割る。食欲をそそる匂いと湯気が沸きたつ。塩を振り、一口かじると甘い味わいが口のなかいっぱいに広がる。ジャガイモがこんなに地酒コスタに合うとは知らなかった。
あの腕白アンヘルが、村の子供として立派に役割を果たしていた。祭りとは摩訶不思議な力をもつ。子供も村社会の一員であることの認識を、サンアントンの祭りがオレに教えてくれた。アンヘルが輝いてみえた一日だった。
そのアンヘルも、いまでは十九歳の若者になった。先週モトクロス用のバイクで転倒して右足を骨折し松葉杖をついている。相変わらず父親似で無口。背丈は百八十センチ近くあるというのに、いまだ俯いて話す癖は子供のころと同じである。
いまでは、子供四人全員が働いている。一家の経済状況は、劇的に好転したことだろう。無理して居酒屋を続けることもなかったのか、カルメラの店は閉じてしまった。しかし、ホセは黙々と野良仕事を続けている。
家族が揃って故郷の村に住む、こんなあたりまえなことを難しくしているのが、現代社会の仕組みである。しかし、畑の師匠ホセの家族はこれを貫き、いまでも皆で住んでいる。さすがに長男は、三年まえに結婚し、家をでた。でも、休みの度に顔をだし、家の手伝いをしている。まだまだ家族の絆は強そうだ。彼にとっては、村の大地が一家を養うといった自然への信頼と、共同体としての村のタテ社会の心地よさが、ここにはあったのかもし れない。ホセの後ろ姿をみる度に、ひとりの男の生きかたとして、家族を支える逞しい父親像として、羨ましくも深く尊敬できるのだ。 |
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