南スペイン、南房総での、おだやかな田舎暮らし「イシイタカシの世界」
畑を買って、果樹園を造る
 村のサンタクルス広場に二十四時間、豊かな水を流し続ける泉がある。蛇口が五つあり、四つは村人のため、ひとつはラバなどの家畜のために使っている。こんな贅沢な水事情も、シエラネバダ山脈の雪解け水のおかげである。気持ちのよい水音に誘われて、夕方になると村人はここに集まり、井戸端会議ならぬ泉端談義に花を咲かせる。よくしたもので、村人が座れる石の長椅子が小路を挟んでふたつある。
 初夏、教会の尖塔とアカシアの木蔭が長く延びて泉を覆うころ、村人たちがいつものように、四方山話を楽しんでいた。
「フランシスコ、村の入口の畑に立っている看板はなんなの?」
「あれかい? メッシーナ村のサンマルコ・ホテルが計画した分譲住宅地だよ」
 村一番の左官屋、棟梁フランシスコがゆっくりと答えた。すでに地酒ビノコスタを一杯やっているようで、つるりとした頭を真っ赤にしている。隣には夏祭りで花火を悪戯し眼を痛めてサングラスをかけている長老役カルロス、オレが畑の師匠と呼んでいるホセや酔っ払いで昼寝の達人アウグスチンが座っていた。
 日本から久しぶりに帰ってきたら、オレの庭に隣接している畑に大きな看板が立っていたのだ。「分譲住宅二十世帯、近日販売開始」とある。住民は五十人にも満たない村だから、これが本当に実行されたら一挙に人口倍増である。この畑は普段、長老役カルロスがジャガイモや空豆を栽培していたのだが、サンマルコ・ホテルの所有地になっていたとは知らなかった。
 近年、このあたりはトレッキングなどのお客さんが増えたこともあって、それを狙っての一大観光プロジェクトだったのだそうだ。ところが、素人衆のホテル経営はすぐに頓挫してしまい、残っていた建設代金も払えない始末で、ホテルが所有していた土地を分譲住宅地化し、一挙に資金回収を目論んだのだという。
「それで、売れゆきはいいの?」
「全然。どうにもならないらしいよ」
 長老役カルロスは、内情を知っているらしかったが、あまり詳しいことは話したがらなかった。かいつまんで話すと、建設代金のかわりに、建設資材会社のアラゴン商会に畑の所有権を渡すことになったらしい。困ったのはこの会社の社長である。用のない土地だけが手元に残ってしまったのだ。カルロスがポツリポツリと、そんな裏事情を話してくれた。泉の飛沫が涼風となってあたりを和ませていた。
 秋、夕方の散歩の途中、いつものように居酒屋アルヒーベに寄り、スコットランド人のアレックスと地酒コスタを飲んでいたら、例のアラゴン商会の社長ロベルトが入ってきた。
「やあ、ちょうどオマエに会いたかったんだ」
 小太りで背は低いが、口ヒゲが似合ういい男だ。居酒屋の亭主、エドワルド親爺とは年齢が近いこともあって仲がいい。エドワルド親爺は社長ロベルトの話したい内容を知っているらしく、オレの隣にグラスを置いてきた。
「サルー!」
 健康を祝して杯をあげ、グラスを合わせて乾杯した。こんなときはきっと相談事である。
「例の畑のことなんだけど…、オマエ買わないかい?」
「えっ、オレが買うの?」
 ここでエドワルド親爺がカウンター越しに口を挟んだ。
「あの畑は、オマエに一番利用価値があるんだよ。庭から畑を通れば村の入口に直接出られるし、なにかと便利だよ。それにな、大きな声ではいえないけど、畑で家が建てられるのは、あそこしかないんだよ。買っておいて絶対損はないよ」
 エドワルド親爺はサンマルコ・ホテルの大口株主のひとりだったから、経営がたちゆかなくなって損害を被ったひとりでもあった。いまはその代償を社長のロベルトが負っており、なんとか換金させたいらしく、エドワルド親爺もひと肌ぬごうということらしい。
「オレは五百万ペセタで手に入れたんだけど…、一割のせて五百五十万ペセタでどうだい、儲かると思うんだけどね」
「イシーは儲け話には疎いんだよなあ。まあ、それくらいのお金はありそうだけどね」
まったく、アレックスは適当なことをいう男である。そんなお金もなかったし、不動産商売をする気もなかった。
 しかし、このとき、雌ロバのプラテーラを飼っていて、広い運動場が欲しいと思っていた。庭の一画に小屋を建て、周囲に柵をして飼っていたのだが、大きな体で柵にぶつかっては壊し、そのまま脱出して畑に直行し、空豆やらサクランボを枝ごと食べてしまったりで、その悪戯ぶりにはほとほと困っていたのだ。話題の畑は五百坪以上あり、ここをプラテーラの運動場にしたら、彼女のためにもいいかなと、ふと考えた。でも先だつお金はない。
「支払いはいつでもいいよ。手付け金に五十万ペセタでも払ってくれれば、あとは何年かかってもいいさ」
 結局、ロベルトの甘言にのっかり、その畑はオレが買うことになってしまった。
 広場の泉脇の長椅子で、いつものように棟梁フランシスコと長老役カルロスが涼風を楽しんでいた。ふたりとも野良仕事にラバを使っている。ラバとロバは兄弟みたいなものだから、まあ、気質や生活環境も同じに違いない。プラテーラの運動場について助言を求めることにした。
「畑にロバを放そうと思ってるんだけど、どうしたらいいかね?」
 ふたりとも苦笑いしながら、オレを見返した。ロバやラバをペットのように飼うなんて、村人には考えられないのだ。
「そうだな、まずは牧草のアルファルファの種を播くことかな。ロバはそいつが大好きだし、強い牧草だから、食べられてもすぐにまた生えてくる。ロバは大喜びだよ」
 このごろ、更にせりだしてきた腹を抱えながら、カルロスが答えてくれた。
「まったく、ロバなんて小屋に入れておけばいいんだよ。運のいいロバだこと。それよりオリーブの木を植えろよ。金にはなるし、手入れは簡単だし、オマエには一番いい方法だよ」
 棟梁フランシスコが、あいかわらず真っ赤な顔で忠告してくれた。
 何日か後、カルロスの意見に従い、アルファルファの種を播き、プラテーラを畑に放った。一ヶ月も経たないうちに浅黄色のアルファルファの芽が、大地を染めていった。確かに長老役カルロスのいうとおり、プラテーラはこの牧草が大好きだった。ところが、元気になったのはよいが、二メートル近くもある村の入口との段差をものともせず、助走をつけ馬のように跳躍して脱走を繰り返すようになってしまった。脱走の理由は村の入口にあった水車小屋跡に住む、ホルヘの馬に恋をしてしまい、彼の馬小屋を訪れるためだった。そこで可哀そうだったが、元のロバ小屋の柵のなかに帰ってもらった。まあ、オレの勝手でプラテーラをロバ本来の自然な姿にしたのはいいが、手にあまってしまったのだ。ロバに限らず動物とのつきあいは、なかなか難しいものがある。
 しばらく空いていた畑をみて、フランス人のジャンが声をかけてきた。
「この畑はジャガイモの栽培にとてもいいって、カルロスがいってたよ。二月のいまが植えどきだからやってみない?」
 彼には畑の手入れをときどき頼んでいるが、野菜作りや果樹の剪定の知識には常々感心させられていた。ジャンの提案どおり、ジャガイモを植えることにした。村の入口に住む無口な働き者、畑の師匠ホセに頼んで巨体の白いラバ、コルデーロ君に畑を耕してもらうことにした。ホセは村で唯一、毎日野良仕事をする専業農家の主人である。畑に関することを質問すると、いつもボソボソとではあるが寡黙にも丁寧に答えてくれる。
「まずは雑草を刈り、一度灌漑用水を引き入れろよ。土が柔らかくなったら時期をみて耕してやるよ」
 畑にはマーガレット、ヒナゲシ、アカザ、カラスムギなどが伸びきったアルファルファに混じって賑やかに繁っていた。いつも畑や庭の手入れを頼んでいるペペゴルドと一緒に、草刈り機できれいにし、用水をたっぷり引き入れて準備した。一週間ほどして土が半乾きになったところで、ホセがコルデーロ君を連れてきて、重い鉄製の鋤を引っぱり、耕してくれた。緑に覆われていた畑が、いっぺんに土色に変わった。ピトレス村の牛舎から熟成した牛糞を五トン買い、畑に運び入れた。二月下旬、ジャンがハート型の鋤と二本フォークがついた鍬で筋状に耕し直し、牛糞を撒き入れた。彼は、ペットボトルに入れた泉の水を飲み、紙巻きタバコを旨そうに吸いながら野良仕事を続けた。スーパーのビニール袋から種芋を取りだし、芽の出具合をみながら、ナイフで三ツ割から四ツ割にし、五十センチほどの間隔に置いていき、また一服しては、今度は穴を掘り、土を被せていった。
 ジャンの適切な植え込みと、ペペゴルドの水やり、オレの草取りのおかげで、夏に向かって濃緑色の丈夫な葉が繁り、爽やかな薄紫色の小さな花を咲かせ始めた。
 七月下旬の夏真っ盛り、ジャンとペペ・ゴルドがイモ掘りの時期だといってきた。そこで三人揃って二本フォークの鍬を使って土を起こすことになった。たっぷり与えた牛糞のおかげか、大豊作である。長老役カルロスのいったとおり、この畑は根菜類にむいているようである。ペペゴルドの用意した大きな麻袋に四つも収穫した。一袋五十キロほどだから合計二百キロはなる。こんな大量のジャガイモとなると、自給自足の枠をはるかに超えている。それぞれに一袋ずつ持っていってもらったが、まだ二袋ある。そこで毎週のようにお茶を飲みに現れるスコットランド人のアレックスに半袋ほどあげることにした。
「こんなにジャガイモをもらったら、明日からは毎日、アルプハーラ名物『貧乏人のポテト』を食べることになるな」
「ビールにはピッタリだよ」
「アルプハーラでは肉料理の付け合わせに、なくてはならない一品だからね」
 ジャガイモをまるのまま5ミリほどの平切りにし、村でとれたオリーブ油をたっぷり使って油煮し、塩と胡椒味だけで食べるのだが、よい食材の調和だけが醸しだすシンプルな旨さがある。フレンチフライドポテトにはいたくうるさいジャンも、『貧乏人のポテト』には納得している。これが地酒コスタに合うのは、やはり同じ大地で育った品だからなのか。
 とんでもない豊作のおかげで、ジャガイモ料理の腕はあげたが、それからはどんな野菜にしろ、植えつけはできるだけ少なくするよう心がけた。
 しかし、野菜類の栽培は、水やりや施肥、草取りとよほど注意しないと収穫は見込めない。それに日本との往復生活では常に畑をみるわけもいかない。そこで、手入れが比較的楽な果樹を植えることを考えついた。再び泉端談義に加わって棟梁フランシスコや畑の師匠ホセに話したら、またまたオリーブの樹を植えろといいはる。まあ、その理由もわからないではない。
 南スペイン一帯、オリーブ油の消費量は半端ではないからだ。ごく普通の家庭でも、二日で一リットルを使う。オリーブ油は、食生活の根幹をなすのだ。パンをトーストしても、ほとんどの人がオリーブ油をかけ、塩をふって食べる。もちろん、トマトやニンニクを擦り込んだりする人もあるが、どちらにしろオリーブ油は欠かさない。それから、魚のフライから煮込み、お肉のソティまですべてオリーブ油を使う。だから、彼らのオリーブの樹に執着する気持ちもわかるのだが、畑の美しさからいったら、常緑樹は一般的な果樹には負ける。果樹は花や実、新緑や紅葉、冬の落葉した木立の清々しさと、それぞれの季節に雅味がある。そこで果樹を植えることに決めた。
 十一月、ジャンと一緒にグラナダにある植木屋に行った。彼はアルプハーラ地方に住み始めて以来の親友である。隣のメッシーナ村の外れに、六畳ひと間ほどの家とパン焼き用の石窯を作り、小さな畑を耕しながら生活している自然体のフランス人である。彼と植木屋に行くのは二度目。前に行ったのはもう十年前、彼と一緒に買い求めた果樹たちは大きく育ち、サクランボにしろ洋梨にしろ、いまでは沢山の実をつけるようになっている。だから果樹を植えることの楽しみは納得済みである。グラナダ市の郊外には、広い敷地に花木や果樹から鉢、肥料や種まで、庭や畑に必要なあれこれを売っている植木屋がある。大きな白い門柱の入口を通り抜けると、鉢植えのゼラニウムやつやのある葉をつけた柑橘類の奥に、棒を立てかけているような果樹の苗木が並んでいた。色とりどりの苗木をみているだけで胸がワクワクしてくるから不思議だ。まずはふたりで敷地を一周する。樺色の木肌はサクランボ、幹が灰緑色をした洋梨、節くれだった太めのクルミの苗と、どれもそれぞれの表情があり、すぐにでも買いたくなってしまう。
「オレが家を作る前にまず手をつけたことは、木を植えることだったよ。いまでは大きく育ち、沢山の実をつけるし、小鳥はやってくるし、いいことずくめだ」
 ジャンは苗木の一本一本を愛おしげに眺めながらいった。
「まずはサクランボの苗木から買おうか?」
「でも、サクランボといったって、何種類もあるよ」
「それなら、各種一本ずつ買おうか?」
 苗木を選んでいると、なんだかすぐにでも大木になって実をつけるように思えてくる。帰るときには四十本近い苗木を買ってしまい、車の後部座席は冬の林のようになってしまった。
 村につくと、まずはペペゴルドに植えてもらうよう頼んだ。また、五トンの牛糞を買い、ホセに頼んでコルデーロ君に畑を耕してもらった。ペペゴルドはすぐにツルハシとスコップをもってきて、穴を掘り始めた。
「ずいぶん大きな穴を掘るんだね」
「そうだよ。木を植えるときは、深く掘らないと、水やりのとき充分水がたまらないし、底に牛糞を埋めておかないと、立派な果樹に育たないから……」
「穴の位置を決める目安はなにかあるの?」
「もちろん。この畑は南に向かってやや傾斜しているだろう? 水は北側から流れこむから、この傾斜を利用して、水がそれぞれの苗木をとおりながら進むように位置を決めるんだ。あと、木と木の間隔は五メートル以上離したいんだけど……、買いすぎだよ、おまえ」
 ペペゴルドは黙々と穴を掘り続けた。ネコ車で牛糞を入れ土を被せ、ホースで水を流しこみ準備をする。ペペゴルドはオレに苗木を真っ直ぐに持たせ、土を埋め返した。周囲にも牛糞を撒き入れながら、地表から三十センチほど低く土を踏み固めていく。四十本を終える頃には、二週間が過ぎていた。次に、鍬で簡単な溝を掘り、それぞれの苗木の穴を結びつけ、灌漑用水を引き入れて充分水を与えた。
 次の年の春、夏に向かって芽吹き、元気な葉が開いた。夏の乾燥期、ペペゴルドは毎週のように水やりを続けた。おかげで根がしっかり活着したようで、葉をつけた小枝がどんどん伸びてきた。特に、アンズやスモモの木はやたら徒長枝がでてきた。次の年、ジャンが自宅からラズベリーの苗木をもってきて、植え込んでくれた。
 三年目の春、なんとサクランボ、アンズ、スモモ、ネクタリン、カリン、クリが花を咲かせた。ほんの少しだったが、初物を味わうことができた。やはり自家栽培の果実は、味が濃く、香りといい甘さといい申し分なかった。
 今年で七年の月日が過ぎようとしている。少し強剪定をして芯をつめた。もう立派な果樹園と呼べそうな姿になっている。春には色とりどりの花が咲き、時期になれば果実も収穫できる。試しにジャムやコンポートも作ってみた。季節の移り変わりが以前にも増して楽しみになっている。
 標高千メートルを超えるフェレイローラ村は、夏の乾いた大気と輝く太陽、豊富な灌漑用水のおかげで、果樹にはうってつけの自然環境らしい。心配は農薬をまったく使わないことから、病気や害虫の被害に遭いやすいことだ。でも、まあ、このあたりは我慢するしかないだろう。
 パンパネイラ村の近くで、独自の自然農法を生み出した福岡正信さんを師と仰ぐイギリス人のジョンが、有機栽培で果樹や野菜を手がけている。〈畑の魔術師〉と呼ばれている彼が面白いことをいった。
「果樹は、三分の一が鳥に、三分の一が大地に、そして三分の一がヒトのため」
 果樹の多い土地柄だからこそいえそうな言葉だが、なにかうなずける。
 フェレイローラ村の入口にあった畑は、もう様変わりし立派な果樹園になった。夕方、果樹園を囲む低い石段に村人が座り、とりとめのない会話を楽しむようになった。そろそろ村の景観の一部になろうとしている。少なくとも、分譲住宅が建てられるよりはよかったと信じている。
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